今からかれこれ10年近く前の25歳頃、私の周りで結婚ラッシュ&子どもラッシュが始まった。
その頃私にも彼氏はいたけれど「結婚」は私にとって現実なものにはならなかった。
このまま結婚することになるのかな?と思った事もあったけど、「したい!」ではなかった。
30半ばを過ぎた今でさえ結婚願望はすごく薄い。
仕事をして、お金は自分の好きな事にだけ使って。
ライブ三昧、旅行三昧でいわゆる独身貴族を存分に楽しんでいたと思う。
ライフスタイルが変わった友達とも子連れで遊ぶのも嫌だと思ったことはないし、あまり羨ましいという感情はなかったように思う。
子どもが嫌だとか嫌いだとも思った事はない、ただ「自分の子どもが欲しい!!」って思った事もなかった。
たとえもしあの頃の私が結婚したい!子どもが欲しい!!って思っていたとしても、それは相手のあることであり、1人では叶わない。(現実には叶える方法はあるようだけれど1人で子どもを持つ事は考えた事もない。)
そんな自分が先日婚約した。
プロポーズされた時に意外にも号泣した自分に驚いた。
その涙は何だったんだろう。ちょっと自分の気持ちを振り返ってみようと思う。
- 自分はモテないし自分は結婚できない
- 結婚=幸せだと思ってた
- 今を楽しむようになって先が約束された
- プロポーズされて泣いたのは安心したから
- 自分は愛される存在と知った今、「結婚」はもうどちらでもいいのかもしれない
自分はモテないし自分は結婚できない
私の今までの恋愛を振り返ると、決して誰からも好かれなかった訳ではない。
好きだと言われた事はチラホラあるし、そう言ってくれる人とお付き合いをしてきた。
しかし、自分から好きになった人とはことごとく縁がなくうまく行った事がほぼなかった。
好きすぎて、言い寄られた男の子たちからすればめんどくさいタイプの女だったんだろうと思う。
自分発信の恋愛がうまく行った試しがない私は、彼氏がいた事があってもあまり恋愛対しての自己肯定感は高くなかった。
「かわいくない」「太ってる」「モテない」と。
25歳で2年弱付き合っていた彼氏と別れた時は周りが結婚して行ったことも重なって「私は結婚とは縁がないんだ」とまだ25歳なのに結婚できないかもしれない未来を濃く描こうとしていた。
私は幸せにはなれないんだと。
結婚=幸せだと思ってた
よくありがちな「30歳までに結婚・出産」みたいな話に踊らされていた25歳〜30歳手前の私。
でももうそれは無理かもしれないと思い始めた25歳。
前出の彼と別れてからというものフラフラしていたのだけれど。
独身生活を楽しむ私に既婚・子持ちの友達から向けられた言葉にハッとしたのです。
「そんなに旅行に行けていいよね」
正直にいうと、さまざまな思いが交錯した。
嫌味?自分は結婚して子どももいるのに?って。
でも同時に思ったんです。
結婚して子どもがいるからといって100%幸せ!って事もないのかもしれない、と。
もちろん結婚して子どもが生まれて新しい生活に幸せは溢れているかもしれません。でもそれがなくたって幸せでいる方法はあるんじゃないのかな。
今を楽しむようになって先が約束された
そこから私は自分がやりたい事にフォーカスする様になっていきます。
カメラをやってみたり、自転車を始めたり。
長く続くものもあればすぐに辞めてしまったものもあるけれど、興味の向くままに今できる事をやってみました。
意識しないとなかなか「幸せだなぁ~」って思えずにいたので、やりたい事が出来て幸せ!と意識することも増やしました。
付き合う人も変えようと転職して一人暮らしをして住む場所も変え、ソーシャルな場に足を運びました。
今まで出会った事のないような人たちと出会い、特に少し先の人生を歩く40歳以上の人たちとの出会いは刺激的で、色んな人生があることを知っていったのです。
結婚してなくても楽しんでいる人がたくさんいると意識したのはその時が初めてだったかもしれません。
そんな時期を経て海外に住むという流れにたまたま行きつき、既婚者の友人にかけられた言葉をバネに1年間海外に住んでみる事に。
その経験はさらに私の世界を広げます。
日本の中よりももっと広く大きな世界に身を置くことで自分という人間を客観的に見たり、今まで日本では圧倒的マジョリティにあった自分の属性が急にマイノリティになることの脆弱さを体感したり。
それでもそんな中でも「私」として生きていくことがどれだけ大切なのかという事を考えたりしながら日々を過ごしていきました。
「自分」とは。
好きな事を始めてから、今までは敷かれていたレールを走っていた私の人生は道なき道を自走し始めます。
今までもたくさんのことを自分で決めてきたはず。それなのに敷かれたレールを操縦もせずにただ滑っている感覚だったのは、何かを決めた時にその道を決めた自分と向き合うことをおろそかにしていたからかもしれません。
「自分の生きたいように生きる事を、自分で認める」「自分の選択に責任をもつ」
自分の人生は自分でしか歩けない。なのに分岐点で「なんとなく」選んできた。それでも日々人生は過ぎて行くのだけれど「自分で決めたんだ」と意識を向けるだけで人生への向き合い方が変わると思うんです。
「先が約束された」と書いたのはなにも「好きな事をやってたら自分の未来がばっちり見えた」「好きなことをやっていたら男性がホイホイやって来た」という訳ではありません。
結婚するとか結婚しないとかではなく、1人でも誰かと一緒でも自分がこれからどういう人生を歩みたいのか、作っていきたいのか、何をしていれば幸せなのかをどうやって考えればいいのかがわかった気がするのです。
私には世間でよく聞く「自分探し」はしっくり来ていなくて、わざわざ新しい自分を探すのではなく、もうすでにある自分を知り、確認し、見つめ直す工程だった気がします。
大切なのは「自分を知って受け入れる事」
プロポーズされて泣いたのは安心したから
彼と出会ってからプロポーズされるまでの2年8カ月あまり。
それはそれは色んなことがありました。
知り合って1週間で私の緊急帰国。これから関係を続けるかどうかもまだわからない時期に物理的な距離ができ、友だちにすらならずに終わりかなと感じた始まりでした。
なんとかニュージーランドに戻り、恋愛関係に発展してからもお互いの関係を構築している間に訪れるビザ問題。そのたびに喧嘩は絶えないし、さらにはビザが下りずに強制帰国からの遠距離恋愛。
外国に住むこと、違う国籍の人と付き合うこと、違う言葉で違う文化を理解すること、たくさんの障壁がありました。
それでもここまで2人でやって来た。
プロポーズを受けた時、思わず泣いたんです。
今まで結婚したいと思ったこともなかった私の目の前にひざまずき小箱をパカっと開いて「Will you marry me?」と珍しくも緊張で固まった顔で聞く男性がいる。
この私が結婚できるの?していいの??っていう状態になって初めて「結婚したい」って思った。
今まで結婚できるかできないかを考えて「できない」と思ったことはあったけどしたいかしたくないかってここまで考えた事実はなかったんじゃないかと思います。
したいと思ったって1人じゃできないし、って。
したいかしたくないかって聞かれて初めて選んだ「したい」だった。
この先もずっと私と一緒に居たいと思ってくれる人がいるってこんなに幸せで安心することなのか。
結婚には縁がないと思っていたし、自分は結婚できないんだと思っていたから結婚という道で幸せになることはないと勝手に決めつけていたし、自分はなってはいけないとどこかで思っていたけれどもう今この時がめちゃくちゃ最高に幸せな状態なんだって気づくまでにも数日はかかったな。
自分は愛される存在と知った今、「結婚」はもうどちらでもいいのかもしれない
プロポーズからもうすぐ2年が経つけれど、私たちはまだ結婚していない。
プロポーズ後すぐにニュージーランドにもコロナがやってきて日本に帰ることもできずにいる。
今でも綺麗なドレスを着てみんなに祝福されたいし感謝を伝えたいという憧れはあるけれど、とにかく今も彼と一緒に居て毎日楽しく過ごせている。
おかげさまで取れたレジデントビザの力もあって喧嘩も激減した。(それだけビザ申請は毎回相当なストレスだった)
結婚式という晴れの舞台で主役にならなくても2人でくだらないことで笑いながら過ごせている物語の主人公でもいいのではないか。
「結婚」という制度に当てはまらなくたって幸せでいる方法は自分次第だから、もう婚約から2年にもなるけどどこかのタイミングで籍が入れられたらそれでいいし、入れれなくてもこの人と一緒に居られればいっか、と今はのんきに考えている。
それでも日々は過ぎて行くから。
自分で選んだ道に責任を持って毎日できれば笑って過ごせればいいな。
いつかここで次は結婚の報告ができるかな、、、?
まとまりのない文章を最後まで読んでいただきありがとうございます。
「結婚」「恋愛」という形のないものに時に振り回されてきた事もあるけど、お互いが自分自身を知り認め、お互いがお互いといる事で自分らしくいられる関係が1日でも長く続けばいいと今はそう思うだけです。