人が生きていくうえで必要なものの1つ、コミュニケーション。
みなさんコミュニケーションと言われた時にどんなものを思い浮かべますか?
話す・聞く・読む・書くといったことばを使ったものから体を使ったボディランゲージやスキンシップ、または何も使わない沈黙や空気を読むこともコミュニケーションのひとつに入るでしょう。
私たちは日頃これら全部を混ぜて他人とのコミュニケーションと取っているのですが、やはりその中でも大部分を占めているのが言葉を使ったコミュニケーション、「言語的コミュニケーション」です。
難しく「言語的」なんて言っちゃいましたが、難しい事を書くつもりはないのでご安心を。
私たちが普段当たり前に使っている言語的コミュニケーション、伝える事の限界を今回コロナ騒動の日本の対応で浮き彫りになったので書いてみようと思った訳です。
普段意識せずに「言葉」を使っている人にぜひ読んでもらいたいです。
日本の首相や、東京都知事に届けという思いで綴ります。
私なんかより格式の高い日本のトップのお偉いさん方に、給料も社会的地位も低いイチ福祉従事者が恐縮ですが。
- イメージの共有はとても難しい
- 「自粛」でみなさんがイメージしたものは?
- ニュージーランドで言われた「STAY HOME」も万能ではない
- 仕事がら私が気を付けていること
- みんなにやさしいコミュニケーションを
イメージの共有はとても難しい
私たちは普段当たり前のように言葉を駆使して日々生きていますが、言葉ってとても複雑だと思いませんか?
違いを知ることからコミュニケーションを始めよう
みんなが同じように当たり前に使っている日本語。
このブログも日本語で書いていますが、言葉の持つ意味は1つだったとしてもその言葉から受け取るイメージってみなさん一緒でしょうか?
名詞は結構イメージの共有がしやすい。
例えば、「リンゴ」。
リンゴと言われれば多くの人が、「テニスボールくらいからソフトボールくらいの大きさの、赤い果物」を想像するでしょう。
それでもイメージには幅があります。テニスボールくらいの大きさとソフトボールでは一回り以上違います。
それに赤リンゴをほとんどの人がイメージするかもしれませんが、青りんごつまり黄緑っぽい色を想像する人もいます。
それでは「コップ」はどうでしょう?
ガラス製、陶器、プラスティック、子ども用の小さなものからコーヒー何杯分?の大きなものまで。はたまた取っ手がないものもあれば取っ手があるもの、形も様々です。それでもコップと言われれば多くの人が飲み物を飲むための大きすぎない蓋のない容器を想像すると思います。
名詞でさえイメージに差が出てくることがお分かりかと思います。
それでは形容詞や副詞、動詞なんかはどうですか?
「赤い」・・・白が混ざった赤もあれば黒が混ざった赤もある
「ゆっくり」・・・ゆっくり歩くのとゆっくり走るのではスピードは違う
「笑う」・・・クスッと笑うのとガハハと笑うどっちも笑う
そう、言葉には幅がある。
その言葉の幅のせいでイメージにずれが生じるのです。
でもこれはどちらが悪いとかではなく、1人ひとり「受け取り方が違う」という事。
持ってる価値観やこれまで経験によってそれぞれが言葉を理解しているのです。
すると発信する人と受け取る人のイメージの差によって伝わるものが伝わらなかったり、一部だけ伝わったり、全然違うものになったりしてしまいます。
それを踏まえてコミュニケーション、伝えるとは。
簡単イメージ共有ゲーム!時間がある人はやってみてください
ちょっと言葉だとわかったようなわからないようなうやむやになっちゃうのでちょっとゲームを。(これ、職場のコミュニケーション研修で使えますよ)
時間がある方はやってみてください
ない方は飛ばしてもらって結構です。
紙とペンを準備してください。私の指示に従って紙に図形を描いてもらいます。
誰かと一緒にやるとよりよいのでご家族と一緒の方、同僚といる方は同じことをお互い見せずに行ってみてください。
途中で変な事になることもあるでしょう、気にせずとりあえず最後まで続けてみてください。
では。ひとつずつ進めて描き足していってください。
・紙の真ん中に丸を描いてください
・その丸の中には二等辺三角形があります
・その二等辺三角形の中には黒い正四角形があります
・丸からは外向きに線がたくさん出ています
以上。
さて、誰かと一緒にやった人はできた図を見せ合いっこしてみてください。
一緒でしたか?
では、私が見ながら出したお題がこちら⇩
皆さんの図と一緒だったでしょうか?
この図を見ながら説明したのに、皆さんの図は違うものができたのではないでしょうか?ちょっとわざと違うものができるように伝えたので同じように描けた人の方が少ないかもしれませんが、嘘はついていません。
どうですか?
・どれくらいの大きさの丸って言わなかったから中に何も描けなかった人いませんか?
・下向きの三角って言わなかったから△の向きで描いた人いませんか?
・向きを言わなかったから■で描いた人はいませんか?
・外向きの線が全体からか一部か言わなかったから一部にだけ描いた人や、長さも言わなかったので短く描いた人や長く書いた人はいませんか?
ここでお伝えしたかったのは同じお題を受けても皆さんがイメージしたものは違うということです。
(研修なんかで使う時はもっと複雑な図形で、もっと伝えるということに重点を置いてやると、それでも違いが出るのでわかりやすいです!)
「自粛」でみなさんがイメージしたものは?
ひとゲーム終えたところで。
では、今回のコロナ騒動で日本に飛び交っている「自粛」、「外出自粛を要請する」という言葉。
それらに対するみなさんが抱いたイメージはどうだったでしょう。
自粛の意味を調べると、『自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと。』と出てきます。
外出は『家から外に出る事。』
要請は『必要な事が実現するように、願い出て求めること。』
つまり「外出自粛を要請する」とは「自発的に考えて外に出るのを控える事」なのに「他人にお願いされる事」というよく分からないフレーズなんですよね。
国民一人ひとりに判断が任されたという事。
その結果、人々は1人ひとりが考えて「家にいるか、外に行くかを決めた」訳です。
それなのに「自粛してない」と外出した人を批判する人がいた訳です。どうしてでしょう?
そこには外出自粛の持つイメージが、「自分で決めていい」「強制力はないという事」と考えた人と、「やらなければならない事」「外出してはいけない」と捉えた人など色々な受け止め方があったからという事じゃないかと思います。
もちろん1億数千万人いる国民が両極端なイメージを持っていれば同じ方向を向くのは難しいですよね。
※法的に強制力があるとかないとかの論争もありますが、今回はそこの点ではなくあくまでも1人ひとり言葉の持つイメージは違うよ、と言う事に注目しています。
ニュージーランドで言われた「STAY HOME」も万能ではない
さて、私が今いるニュージーランドでは「Stay Home, Save Lives」が日本の「自粛」のようにそこらじゅうで言われているフレーズです。
直訳すれば「家にいて、命を守ろう」という事。
「Stay Home」だけ言われることも多いですが、Stay(その場にとどまる)Home(自宅に)で単純明快です。
この単純明快さが「伝える力」の最低限のスキルだと私は思っています。
何をすべきかが明確なんですよね。
「家にいて!」それだけ。
このStay Homeのフレーズの下、ニュージーランドではみんなが家にいるんです。
外出自粛とやっていることは一緒なのに「政府のいう事をムリヤリ聞かされている」という被害者感情がとても少ないです。それはどうしてなのでしょう。
法律が違ううんぬんは、、、今でこそStay Homeしなかった人への処罰が厳しくなったり、警察官の持つ権限が強くはなっていますが、ロックダウン開始時は日本の自粛要請と同じように「家にいてください」というようなニュアンスでした。もちろんロックダウンでお店が閉まったので物理的に外出させない措置があった事は大きく違いますが。
それは簡単な誰にでもわかる言葉で、国民にどうして欲しいいのかをはっきりさせたからです。
「外に行かないで」ではなく「家にいて」です。
ですが、そんな単純明快でイメージの共有をしやすい「Stay Home」も万能ではありません。
「Stay Home」が万能かどうかは「対象者による」から、です。
何かを発信したり伝えたい事があるとき、その先には対象となる誰かが存在しますよね。
コミュニケーションは1人では成り立たないもの。一方的に伝える場合であってもそこには誰かがいるのです。
今回のお話であれば「政府→国民」だったり、このブログであれば「私→読者のみなさん」です。
私はニュージーランドの状況や普段の生活をこれからニュージーランドに来たい人やニュージーランドに興味がある日本人に向けてこのブログを運営しています。(この記事は少しその趣旨からは外れますが)
そう考えた時にどう伝えるか、「読んでほしいのはどんな人なのか」を考える必要があると思います。それを考えたら日本語で発信するのは当然ではないでしょうか。それは日本人の多くが日本語を使うからです。もっと細かくターゲットを絞っていけば、使う言葉や発信する内容もおのずと変わってくると思います。
それと同じように、今回ニュージーランド政府がやったことは、ウイルスの拡散を止めるために、国内にいる人をターゲットとして伝える必要がありました。
ニュージーランドでは、
国民の多くが英語を話します。
国民とは赤ちゃんから高齢者までみんな国民です。
国民には目が見えない人も、耳が聞こえない人も言葉の理解が難しい人もいるでしょう。
そして国民以外にもニュージーランドは移民の多い多国籍国家。私のように英語がまだまだ堪能じゃない人もたくさんいます。
こういうあらゆるニュージーランド国内にいる人はどんなひとかと考えた時に出来る限りの大多数に理解させるには、簡単で分かりやすい言葉が必要だった訳です。
結果的に多くの国内に居合わせた人にすべき行動を簡潔に示した「Stay Home」は100点満点だったと私は思っています。
それでも万能フレーズではない理由。
もうおわかりでしょうか、日本で使っても意味ない!!!!!ってことです。
日本の報道をかじりかじり見ていますが、「自粛」のそれだけでなく、「ステイホーム」「クラスター」「緊急事態宣言」「パンデミック」などなど、何のことかわからない単語がずらずらと並んではいませんか?
イメージを共有できる訳がないんですよね。
英語を使いがちな某知事もそうですし、会見で「えーっとですね」「ですから」を連発するトップ。
一体その言葉を届けたい人は誰なんでしょう?
みんなに伝える気あるのかなって思って見ています。
仕事がら私が気を付けていること
私は日頃、何かしらの障害を抱えた人の支援をしています。
特に知的障害・発達障害のある人のサポートを専門としていて、その多くがコミュニケーションに問題を抱えています。
・全く話せない人、少しだけ話せる人など自ら発信する事に問題がある人
・言われている事がわからないなど言葉を受け取って理解する事に問題がある人
・読むことに問題がある人
・書くことに問題がある人
様々な状態の人がいて、その中の多くの人がいくつかの状態を合わせもっています。
問題という書き方をしましたが、みなさんとは違った発信方法や受取方をする人がいるよ、と言う事です。
なので私は、彼らのコミュニケーションの取り方と理解の仕方が自分とは大きく異なるかもしれないということをいつも頭の片隅においています。
特にコミュニケーションに障害がある人とのやりとりでは支援者から障害のある人へ伝える場面が多くあります。そんな時にきちんと「伝わっているのか」を確認することはとても重要なんですよね。一方的じゃ意味ありませんから。
そうはいっても1人ひとり本当に様々で日々接している支援者と言えどもなかなか彼らがどのように理解しているかを理解することは難しい。
だから伝え方に工夫がいるのです。
そんなコミュニケーションに難しさのある人達をサポートする1人として私が気を付けているポイントを少しご紹介します。
障害のあるなしに関わらず、1人ひとりが言葉に対して持つイメージが違う事は一番初めにお伝えしたので、健常者と言われる人だって1人ひとり理解の仕方が違うんだという事をもう一度思い出してくださいね。
わかりやすく
例)子どもに部屋の片づけをさせたい時
「あーもう部屋中おもちゃだらけじゃない、綺麗にしなさい。こら!部屋を走らないで!」
なんて場面よくありませんか?
このセリフで もちろんわかってお母さんが思う行動をしてくれる子もいるでしょう(それは結構過去の経験から行動が強化されている場合が多いんです)が、「綺麗にする」という言葉のイメージが母と子で違うと子どもはおもちゃを部屋の端っこに寄せてスペースを作って片づけたというかもしれません。
まず、「わかりやすく」はこの場合だと子どもが普段使う言葉を使う方がわかりやすいですよね。「部屋中」はわからなくても「このお部屋」と伝えるとわかるかもしれませんし、「綺麗にする」はわからなくても「きれいきれいしようね~」でわかる子どももいるでしょう。
きっと普段から自然と子どもに話すときは子どもに合わせて「わかりやすく」ができている人が多いと思います。
言葉選び以外にも、短く伝えることやはっきりと伝えることも「わかりやすさ」に繋がりますね。
それらを気をつけて言葉が分かる人には伝えてみましょう。
発達障害のある人は、会話の内容を理解するのに時間がかかったり、話しかけてくる人の言葉と周りの雑音を聞き分けられず理解できないことがあるといいます。その反面視覚的なアプローチにはとても強い人が多いのも特徴です。
その為、文字を書いて伝えたり、イラストや写真で伝える、もしくはやってみせるなど視覚的にアプローチすることがあります。
それもその人にとっての「わかりやすさ」なのです。
肯定的に
これも支援現場ではよく言われることなのですが、「否定文を使わない」です。(←早速ここで使ってますが)
否定語とはつまり「~しない」「~じゃない」などの「ない」が含まれる言葉です。
私たちは普段難しく考えることなく使っていますが、否定文は肯定文に比べると複雑にできています。
「走らないで」という言葉は「走る」と否定を意味する「ない」からできていますよね。
走るという動作をイメージした後に「しない」ということを考えるのですがこれが混乱や誤解を招くことがあります。「ない」という言葉は文章を難しくするんです。
「走らない」は簡単にわかる人でも、「子どもが走らないはずがない」と言われるとちょっと戸惑いませんか?
結局のところ、走るの?走らないの?どっち?って。
二重だからより難しいんですが、だったらシンプルに「走らない」ではなく、「歩く」や「座る」または「止まる」など、してほしい行動に言い換えてみてください。
最初に言った文でいうと、「あーもう部屋中おもちゃだらけじゃない、綺麗にしなさい。こら!座りなさい!」かな。(言い方や語気は別の話です)
具体的に
さらに自閉症など発達障害を持つ人の特徴として「曖昧さ」がわかりにくい、というものがあります。
その為、私はできるだけ普段からできるだけ「具体的に伝える」ようにしています。
それが私たちが使う言葉には曖昧なものがたーくさんある。言葉自体の意味が難しいかどうかではなくイメージがしにくいものです。
例文で言えば「綺麗」という言葉。
最初の例文で お母さんは「綺麗にして」という言葉の裏に「おもちゃはおもちゃ箱にいれて、床におもちゃが転がっていない状態」を想像しましたが、子どもは「部屋の真ん中にスペースを作る」とイメージしたので、お母さんの思う綺麗にはならなかったのです。
人によって綺麗さの基準が異なるので、そのイメージをどう近づけるのかを考えるのです。
そこで片づけでやってほしい事を具体的に「ぬいぐるみは棚に戻す、他のおもちゃはおもちゃ箱に入れる」という伝え方をすればお母さんの思う「おもちゃが部屋中に散らかっている汚い状態ではなくなる=綺麗」になり、子どもにも何をしたらいいのかわかりやすく伝える事ができます。
曖昧で私たちが使いがちな言葉の代表が「ちょっと」だと思っているのですが、「お菓子ちょっとだけ食べていいよ」「ちょっと待って」など言いがちじゃないでしょうか。
それはどうしましょう、、、
見通しを立てられるように
曖昧な言葉はできるだけ具体的にといいましたが難しい場面も多い。
子どもの得意技と言ってもいい「まだ~?」攻撃。こっちもわからないから答えられないのに何度も何度もしつこく聞いてくる!!!
そう、あてもなく待たされることに人は不快感を覚える事が多いのです。これも子どもに限った事ではありません。
例えば、病院に予約なしでやってきました、待合室には自分以外に20人くらいいる。いったいどれだけ待たされるかわからない。
そんな場面ありませんか?でも大人は子どもより待てることが多いでしょう、そんな時頭の中ではどんなことを考えていますか?
・今日はこれ以外に予定がないから何時間かかっても大丈夫
・受付番号25番で今が6番の人、19人待ってるのか
・診察時間1人5分~10分だとして2時間くらいかな
・一回帰ってからまた来ようか
など、状況に応じて考えていると思います。
もし受付番号などの表示がない場合、みなさんはどうしますか?時間に余裕があってもなくても受付の人にどれくらいかかりそうか聞いたりしませんか?
先が見えないと人は不安を感じるのです。
そんな不安を軽減するために見通しを立てる事を自然としているのです。
病院で大人の方が長く待てるのは、おおまかであれ今までの経験からこの人数だと1時間で終わりそうだとか3時間はかかるぞ、といった予測を立てられるからであり、電光掲示板などのツールを使って情報を得たり、または受付の人に流れの進捗状況を聞くことによって自分で見通しを立てられるからなのです。
こういう事を自らわからない人に伝える時に役立つのが数字です。
少し話を戻すと、最初にやった図を描くゲーム。
もし私が本当に皆さんに私が思い描いた図を描いて欲しかったら
・直径9センチの丸
・頂点を下に向けた、底辺9センチの直角二等辺三角形
・頂点が上下と左右に1点ずつくる一辺2㎝の黒い正方形
・丸の左右から長さ1㎝の線が9本ずつ
などと伝えていたらもっと近い図を描けた人が多かったはずです。
「時計」や「時間」などは「数字」がわかる人にはとても有効的なんです。
「お昼の12:00になったらごはん」
「後10経ったら終わり」
「宿題2ページ分やる」などはイメージの共有がしやすいですよね。
数字の概念がまだない人には、時間や数字で伝えずに
「お買い物から帰ってきたら、お昼ご飯」
「この歌が終わったらおしまい」
「このプリントとこのプリントをやる」
などと言いかえて順序ややるべきことを示します。
話を戻すと、もし初めに病院の受付の人に「今20人くらい待ってるので2時間くらいはかかりますね」と教えてもらっていたら不安が軽減した状態で待てるのです。
受付の人にはそこまでの義務はないので初めから言う必要はないかもしれません、しかし国民を守らなければいけないリーダーはどうでしょう?
2月からなんとなく「自粛」が始まって3月に急に学校が休校になって、緊急事態宣言が出て、、、ダラダラ感が否めなかったですよね。
いつまで続くのだろう、誰もが不安だったのです。
みんなにやさしいコミュニケーションを
色々と書いて来ましたが、1人ひとり色んな違う人間が寄り集まってできている社会では「伝え方」は本当に重要だと一連のコロナ騒動から改めて感じています。
普段から私が心がけている「発達障害者支援の基本」ともいえる「わかりやすく、具体的に、肯定的に、見通しを立てられるように」なのですが、これらは障害者への「特別」な配慮ではなく、多様化する現代にはみんなが持っていていい伝え方のスキルだと思うのです。
一番初めにお伝えしたをイメージ共有することの難しさ、それを軽減するためには誰にでもわかりやすいコミュニケーションが求められます。
「自粛」という言葉では何をすべきかわからなかった。
日本人の大人でさえわからなかったのです。
子どもやお年寄りの人が「クラスター」と言われてわかったでしょうか。
日本語のつたない外国人が「非常事態宣言」ということの警戒レベルがわかったでしょうか。
首相会見の現場で同時手話通訳がなかったのは、耳の聞こえない人は首相会見をライブで知る権利はないということだったのでしょうか。
英語が不十分で海外に住んでいると私自身に対してももっとわかりやすく伝えてくれればいいのに、と思う場面を何度も経験してきました。
日本人が強いと言われているライティング、弱いといわれているリスニング
私もそれにもれなく入っているのですが、電話で一度サラッと説明されると分かりませんが、メールでもらうとゆっくりですが理解することができます。
仕事中も予定を一気に説明されても分からないけれど、黒板に書いてくれていればその都度確認することができます。
どこで誰がどんなふうにつまづいているかはあまり周りには気づかれないものです。
私のように、特別な支援が必要とされる人への対応と同じ伝えられ方で救われる人も多くいるのではないでしょうか。
「特別支援」は万人に対応するものです。
まだまだ英語社会に慣れない私でもわかりやすかった、ニュージーランドの「Stay Home」。
短く簡単な言葉で、肯定的にわかりやすく。
詳細の説明では、ロックダウンは4週間続きます。4週間が終わる前に再度会見を開きます。ロックダウンをしたからと言って10ー14日は感染者数が増えるでしょう。でも心配しないでください。その後に効果が現れるはずです。他人とは2mの距離をとって、、、、などなどたくさんの数字が出てきました。
具体的に、見通しが持てる説明だったのです。
言葉をわかり始めた子どもから高齢者まで全年齢層に
移民が多いからこそ英語初心者でもわかる簡単な単語で
耳が悪くても分かるように首相会見には手話同時通訳
誰にでもわかりやすく絵表示のポスターが街中に
伝える力の強い人の言葉は多くの人に届きやすい、そう感じます。
みなさんも目の前の人に伝える時、ぜひどんな人なのかどうすれば伝わるのか一度考えてみてください。
そこまでやらないといけないのかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それはみなさんが伝えたい相手と伝えたい熱量次第です。
私が今回紡いだ言葉もみなさんに届いていますように。
簡単に書いたつもりですがちょっと長くなったので「わかりにくく」なっちゃってるかもしれませんが。
最後まで読んでいただきありがとうございました。