ただ今、私が30歳目前でなぜワーホリに行くことになったのかのお話をお届けしております。今日はその第3章。
私の人生が目まぐるしく変わったのは2013年、28歳になる年。アラサー。
すべてがこの時を待っていたかのように本当に色んな事が起こりました。
今お話ししているのはたった1年とちょっとの間の話。
前回は
・転機3:転職
・転機4:一人暮らし
をお話しました。
↓ 是非初めからご覧ください☆
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今回は
転機5:親友との決別
弟が結婚することになって、ホッとしたのは事実ですが、周りの友達が結婚して母になっていく姿はそれなりに私に影響を与えていたと思います。
焦りだけではなく、関係の変化もそれ。
女性は少なからず子供を持つときに大きく人生が変わると思います。
今では辞めずに産休育休を取って、職に復帰する人も増えていると思いますが、それでも一時的には完全に仕事から離れ、生むこと・育てることに専念する時間ができますよね。
結婚で名前が変わり、住む場所も変わり、妊娠出産で仕事を失い(休み)、生活スタイルが子ども中心になりガラリと変わる。
これって、アイデンティティ崩壊の危機だなと思っていて。
今まで築き上げてきたものをこれだけ変えるって大変ですよね。
幸せや新たなアイデンティティの構築がそれを乗り越えさせてると思うけど、一歩間違えれば危機。
そんな結婚や出産という状況に多くの友達は進んでいきました。
完全には私と違う道。
そして、私の数いる友達の中でお互いのライフサイクルの違いを認め合えずにお別れした友達が1人います。
その子との関係が私にもたらしたものとは?
彼女の事は親友だと思っていました。中学2年生で出会った彼女。
全然違うタイプだけど、違うからこそ楽しかったし、付き合っていたいと思っていたから付き合っていました。
14歳~15歳は一緒に過ごす時間が多かったけれど、その後はずっと違う人生を歩んできた私たち。
高校は別の学校に行き、私は部活動、彼女はバイトを始めた。
私は大学に進学し、彼女は一足先に社会人になって。
それでもお互い時間を合わせて時々遊んでた。
でも結婚と、特に育児は彼女自身と私たちの関係を変えた。
今まで自然にやってきたはずの「お互いを尊重して付き合う」ということのバランスが崩れたと私は思っていて、母親という彼女の新しい役割を受け入れていたつもりだし、子どもの存在が彼女にとっての最優先事項になったことは全く持って不思議ではなかったし、そこを捻じ曲げるつもりは全くない。
今でも、独身者は独身者としか付き合えないとは全く思わないし、実際にこの歳になれば結婚して子どもがいる友達の方が多い。
ただ、付き合い方は変わる。当たり前ですよね。
会うたびにカラオケに行っていた付き合い方は、子どもを連れて公園へのお出かけに変わる。
会うたびに飲みに行ってた関係は、子どもを連れて行きやすいところでのランチに変わる。
それは全然構わないし、友だちがそれが必要なんだったらもちろん受け入れる。
そして大抵の場合独身者がの方が融通が利くので相手の良い時間を見つけて会う。
「合わせてる」なんて感覚ではなく、今の私たちに必要な形を探してるだけと思っている。
実際に子どもがいたら思い通りにならない事の方が多い事なんてわかっているし、「お互いが独身だった頃」の付き合い方は難しい。
無理に今までみたいにオシャレなカフェに行ったり、遠出したところで誰も楽しくなれない事もあるから。
それを「自分はできるのにできない!」なんてと思う時は独身者とすればいい。
でも私は付き合い方が変わっても友達と過ごす時間が大切だから、一緒に居れる方法を考える。その結果が公園、だという事。
そしてできるだけ友達の意見を聞くようにしています。
同じ母親と言えども一人ひとり違うから。どこなら行けそうか、考えてもらう。
私は友達と居れて楽しかったらどこでもいいんです。
もしどうしても行きたくない場所なら正直に行きたくないと伝える。それだけ。
でも逆に友達も私を知っているから、だから「公園でごめんね~」ってなる。
決してごめんねが欲しい訳ではないんです。友達も私が「そんなんいいよ。」って言うことはわかっているはずだけど、お互い違う状況とわかっているから伝えてくれる。その気遣いだけですべては丸く収まると思っています。
だからお互いの思いやりでなんとでもなる。
これってそんなに難しく考えるようなことなのだろうか?
ただ、彼女はその母親であるということを私にも押し付けてきた。
違和感しかなかった。
彼女はそんな気はなかったかもしれない、精一杯だっただけかもしれない。
でも当時の彼女の態度からは私はそう受け取ってしまったんです。
「子どもがいるんだから出かけられないのは当然」、「独身者が合わせて当然」かのように。
彼女には母親と言う役割が新しくできた。
でも私にとっては友達は友達。
「子どもの母親」として彼女と付き合っている訳ではない。ただ、友達が母になった、だけなはず。
他の友達とは自然にできた事が彼女とはできなかった。
他の友達には 思わない、「私があわせないといけない」という気持ちになり、そう思うともう不満になっていました。
そこに違和感を感じたこと、1人の人間としての「私」ではなく、「独身」「未婚」「子どもがいない」という肩書きで扱われていると思ったこと、それから「独身やからわからん」などと言われてしまった事が私に気づきをくれたんです。
所詮、人は自分が経験した事しかわからない。
その子も、私も、そしてあなたも。
結婚していないから、子どもがいないから わからないでしょ、と言われると ごもっともです と思う反面、こっちの事はわかるの?と思うんです。もちろん言わないけど。
彼女は社会人の経験はあった。でも「28歳で独身で働いていたこと」はない。
そういう事。
もういいや、って思いました。
喧嘩したところで自分が侮辱されて終わるとしか思えなかったから。どうせ結婚もしてなけりゃ子供もおらんし、わからんし。
彼女の最終的な基準はそこなんだと思ったから。
大切な友達だった過去の事実は消し去らないし、彼女との楽しかった思い出も消さない。
ただ、友達関係は変わって行く。
その時はかなりマイナスの感情になっていたし、彼女に対して腹立たしい気持ちで溢れていたし、そして何より悲しかった。
結婚してなくて子供がいないって、こんなに私自身が否定される要因になるんかって思っていました。
私は彼女のことなんてわからないと言われるのに、逆の立場では私のことわかってるふりをされる。
それくらいなら全く想像もできないところに行かれへんかな。と思い出したのもこの頃でした。
そして私たちの関係は終わりました。
もう6年前になるのか。。。彼女は2人目も生んだみたいで幸せにやってるのだろう。幸せならそれでいい、かな。
※彼女とは本音を言い合っていないので、もちろん彼女の言い分もあると思います。ここでは私が見たものと感じたことだけ話しています。
親友と別れてすごく色々な感情になったけど、これも起こらなかったら 私は今ここにいなかったな~って思っています。
きっと起こるべくして起こったし、大好きな友だちだったからこそ、ここまで強い気持ちが表れたと思っているので、今はプラスに考えています。
この後、まさか世界各国に100人以上の友達ができるって全く想像してなかったんですから。
次、最終章です
●とあるバーとの出会いと恋とXデー
●その後の私
●まとめ