これからワーホリや留学に行こうと考えている人の中には、明確に目標を持って準備を進めている人が多いと思います。
海外大学へ進学するため、将来外資系の会社や海外で働くためなど色んな目標があることでしょう。
しかし、そんな人とは対照的に目標がなかったり、ぼんやりとしている人も多いのではないでしょうか。
実は私もワーホリに出る時明確で大きな目標はありませんでした。
一番大きかった理由は「日本から出たい」でした。
そんな私がワーホリ2か国を通して得た事は様々ありますが、今日は一番人生に直接影響を与えたと思っている経験についてお話します。
目的がある方がいいかもしれませんが、コレに出会えたのは目的がなかったけれどワーホリに行ったからだと思っているのでこれから渡航を考えている方に何か届くといいなと思います。
ワーホリに行く事になったきっかけはこちらから⇩
マジョリティとマイノリティ
ご存知の方も多いと思いますが、ここでちょっとだけ言葉の定義を。
マジョリティ(majority)・・・多数者、多数派
マイノリティ(minority)・・・少数者、少数派
つまるところ、「多いか少ないか」。
日本に居た時の私
遅いワーホリデビューだった私は、29歳で初めてオーストラリアワーホリに行きました。
今もそれほど大きく変わらない平凡な生活ですが、それまでは本当にごくごく平凡な人生を送ってきました。
高校を出て
大学に行き
就活はちょっと特殊で荒波に揉まれずに就職
新卒から5年、転職して2年障害者福祉の分野で働き
そしてワーホリへ。
私生活では25-26の頃にお付き合いしていた人と結婚するかな〜?と思った事もありましたが結局お別れすることになり、そこから海外に出るまでの間はシングルでライブに自転車にカメラに旅行などなど自分がやりたいと思ったことを色々楽しんでいました。
それも楽しかった。
楽しかったんですけど、「シングル(独身)」でいる事の居心地の悪さが年々大きくなるのを感じていました。
「結婚適齢期だから結婚して子供をもたないといけない」のか?
それが自分のしたい事だったらよかったのかもしれないのですが、私はそうは思っていなくて違和感を感じていました。
「みんなやっているから?」
「それが普通?」
「子どもを持つのが当たり前?」
そんな時に気が付いたのが自分の人生のほとんどが今まで「マジョリティ」だったのが、今「マイノリティ」になっているかもしれないという事への不安と違和感でした。
皆さんもぜひご自分の人生を振り返ってみてください。
私の人生はほとんどが「枠からはみ出ない」、大勢の人がやっていて自分もそれが「当然」と思っていたこと。
(大半の人が行く)高校へ行き、
(大半の人が行く)大学へ行き、
(大半の同学部の人が取る)資格を取り、
(大半の人がする)新卒で社会人になる。
(大半の人がするように)それなりに恋愛をし、
(大半の人と同じように)趣味を楽しむ、、、
世界が全て2択ではないけれど、ごく少数派に入ることはなかった。(と思う)
それが(周りの人がしているから)「結婚して子どもをもちたいか」、というところでひっかかったんです。
もちろん結婚せずに生きている人を知らない訳でもなかったし、周りに居なかった訳ではありません。
でもそれが社会で「当然」としては受け入れられていないと思っていたし自分で作り上げた常識も「結婚して当然」だったので、当時の私は自分が勝手に描いていた「当然」から外れていく自分に不安を覚えていたんだと思います。
結婚したいと思う相手がいないのに、30歳になるまでに子供を産まなくちゃいけないのか、それはみんながしていて当然だから自分もしなくちゃいけないのか?
20代後半の私はそんな自分が抱いた違和感に対して、「そんな事ない、みんなに合わせることなく自分の道を行けばいい」と強く思える程の自信はなく、「結婚していない自分」を肯定しつつも「結婚できていない自分」に不安を覚えていたのです。
周りの友達がみんなやっているところから外れていく感覚。
人生で初めてマジョリティからマイノリティになっていくのを感じた時だったのかもしれません。
それと共に気づいた、自分が「マジョリティにいないといけない。マイノリティになることはいけない事」という無意識の価値観を持っていたという事。
仕事では障害を持つ人々の支援をずっとしていたので身近にずっと常に「少数派」とくくられてきた人たちが近くにたくさんいて、彼らを今まで「少数派」と思ったこともなかったし、「少数派」であるからとかわいそうだとか見下したこともないつもり。
それなのに自分が「少数派」になろうとした時に受け入れられない自分のマインド、矛盾。どちらも正直な自分だったんです。
それらの価値観はどこから来るのか、当たり前が本当に当たり前なのか。
「世界を知りたい、日本を出よう」でした。
オーストラリアワーホリでの経験
そんな思いでやって来たオーストラリアはブリスベン。
期待と不安で溢れ、希望にも失望にも出会った今まで経験した事しか起こらなかったんじゃないかと思える程刺激の強い1年間でした。
自分の「当然」「常識」「普通」といった価値観がどんどん壊されて行く出来事ばかりでした。
日本語話者は少数派?
最初の3カ月通った英語の語学学校では、今まで出会ったことのない人達に出会い、世界中に友達ができました。
そこで 知った日本語話者は世界の少数派だと言う事。
日本が話せてもコミュニケーションを取れる人は世界でごく一部しかいない。
日本語はこれまで私の言語コミュニケーションツールの全てであり、日本語が使える事でこれまで何不自由なく生きてこれたのにオーストラリアでは英語が話せないだけでこんなに惨めな思いをするのかとマイナスに思った事が何度もありました。
ですがそれと同時に自分はすでにマイノリティだったんだと知るきっかけにもなりました。
もちろん語学学校は英語を学ぶ人が来るところなので、みんな母国語は英語ではありません。
英語が世界共通語と言われていてもこんなにたくさん英語を母国語に持たない人がいるなら、英語=マジョリティ=正解ではないということも知りました。
日本語話者はマイノリティ、でも世界一難しい言語の1つと言われる言語を私たちは話している。英語は話せるようになったらもっと楽しいだろうけど、日本語話者=マイノリティ=ダメではない。
まず言語面でのマイノリティな自分を受け入れる事ができました。
アジア人は少数派?
言語面での自分のアイデンティティを知ったのとほぼ同時に自分の人種のアイデンティティも知ることになります。
それまで周りを見渡しても多少の違いはあれど、ほとんどの人が地毛は黒く瞳も黒。
肌も白くもなく黒くもない黄色人種と呼ばれる人ばかりの中で育ちました。
私は他の人に比べると肌も白かったし、瞳の色も黒ではないけれど綺麗な青でもすごく薄い緑のような色でもありません。
日本人にしては色が薄いね、という程度。
そんなみんな似ている環境から、色んな髪の色、色んな瞳の色、色んな肌の人と出会い初めて自分は「アジア人」としてのアイデンティティを持つ事を知りました。
みんな黒い髪をもっているのではなく、金髪や茶髪や白髪の人がいる中で私は黒い髪を持ってる。
みんな黒の瞳を持っている人々ではなく、黒・茶色・緑・青など色んな人の中で私は少し茶色い色を持ってる。
みんなが黄色い肌を持っているのではなく、白い人茶色い人黒い人色々いる中で私は黄色っぽい色をしている。
厳密にはわからないけれど、それって全部マジョリティじゃないかもしれない。
オーストラリアは移民が多く、人種も多様。
それでもアジア人が半数を超えるなんてことはないでしょう。
少数派、というよりも色んな人がいるから何が多くて何が少ないのかもわからなくなったんです。
オーストラリアの普通って何?そして「普通」なんてものは他人との間にはないんだと自分の身をもって体感することになりました。
後で少し述べようと思いますが、実は海外に行く前から私は「普通」という言葉が嫌いでした。
それなのに自分にずっとつきまとっていた「普通」という言葉。
これが海外に出た事で「普通」なんてより曖昧でわからないものになったり、そもそもそんなもの存在しないのではないかと思ったり、そして最後にはどこにあるのか明確になり自分の中で腑に落ちる変化を遂げました。
ニュージーランドに来てから
オーストラリアでの経験は丸1年。
ワーホリが終わるころには私はまだ日本社会に戻りたくないと思っていて、なんとかギリギリでもう1か国行けそうだとわかり、ニュージーランドに行く事を決めました。
マジョリティかマイノリティかよりも私自身
オーストラリアでの1年で今まで日本ではマジョリティの真ん中にいると思ってた自分やマジョリティに居れば安心だった自分は、世界に行けばマイノリティになることを知った訳ですが、それまで勝手に抱いていたマイノリティはよくないという考え方も違っていてマイノリティの自分も受け入れられるようになってきていました。
ニュージーランドに来てからはマジョリティかマイノリティじゃないかという観点よりも、自分はどうであるかという事にフォーカスされていった気がします。
私が海外に行くぞ、と決めるきっかけになった「30歳までに結婚して子どもを産むのが普通」問題。
実は海外でもそんな事あるんですって。
自分がアラサーでワーホリしていたからなのも関係しているのでしょうが、オーストラリアでもニュージーランドでも世界各国の同世代のアラサー女子とたくさん出会いました。
日本に居た頃に「結婚しないの?」とか「結婚した方がいいよ」と言われるのが本当に嫌だったこともあり、新しい友達に出会うと「あなたの国ではどう?そんな事言われる?」と片っ端から聞きまくっていました。
海外ではそんな事聞かれないんだろうなと思ってたのですが、結構多くの人が親や祖父母に結婚を勧められたりいつするつもりかと問われたりしていたそうです。
それを私と同じようにうっとうしく感じている子もいました。
30歳結婚問題は日本だけではないんだと知ったのですが、そこで彼女たちが私と違ったのは「私が決める」としっかり思っていたことと選択肢は他にもあると知っていた事かなと思いました。
私ももちろん自分の人生自分で決めたいと思っていたけれど、それでも言い切る自信がなかった。
けれど色んな人の生き方があると知って徐々に結婚してない事が人生のマイナスではないと思えるようになって行きました。
多くの人が20代で結婚して子どもをうむ、けれどもそうではない人もそれに匹敵するほど大勢いると知ったから。
30歳までに産まなければ人生のすべてが終わってしまう訳ではない。
産むか産まないか、選択肢はその2つじゃない。
高齢出産などのケースも頭では知っていた、けれど自分の選択肢には入っていなかった。勝手にカードを捨てていたのは自分なんですよね。
実は結婚しない・子どもを持たないという事に対しては今でもマイノリティ感が抜けずにいます。それでも引け目に感じずそんな自分の人生でもいいんじゃない?と思えているのはあの時海外に行くと決めて色んな今まで見た事のない景色をたくさん見たからだと思っています。
障害者福祉の支援員としての視点
最後に、福祉従事者として。
福祉従事者、特に知的・発達障害者支援に携わる人には海外で短期間でも「住む」という事をオススメしたいです。
みんな一緒をよしとする傾向の強い日本社会で常にマイノリティや弱者などと勝手にラベリングされている人たちの支援を私たちはしていますが、マイノリティになることの辛さ(悪くはないのにのけものにされる感じ)やわかってもらえない感覚や肩身の狭い思いはマイノリティになってみて初めて頭ではなく体で感じて分かるものではないだろうかと思っているからです。
先ほど少しお話した「普通」という言葉。
「自分にとって当たり前だと思っていること」と解釈しているのですが、そこには自分の価値観が詰まってる。つまり目の前の人が持つ「普通」と自分が持つ「普通」が一緒な訳がないんです。
「普通」は結局全て自分の中にしかない。
それなのに「普通さ~」って友だちと話した時、話が通じる事の方が多くありませんか?
それは似通った価値観がそこにあるから成立するんですよね。
色んな価値観に触れると「普通」という言葉には自分の価値観が隠れているという事が分かります。
でもその「普通」を「世間一般の当たり前・常識」と勘違いしてしまうと目の前の人に「普通」という言葉を振りかざし自分の価値観を押し付けてしまっているだけかもしれません。
目の前にいる私たちが関わる障害を持つ人たちはあなたと同じ「普通」を持っているでしょうか。
そんな訳ないんですよね、違う人間なんだから。
多国籍な環境に身を置き、何が普通なのかわからなくなり、そこから自分の価値観を知り他の人の価値観にも触れると「そういう考え方もあるのか」と思う事が増えます。
その人にとってはその考え方が普通なのです。
でも目の前の私たちが支援をしている人の多くは「あなたの価値観を押し付けないで!」と言い返して来る人の方が少ないでしょう、だから色んな考え方に触れて受け入れられるようになる事が大切だと思います。
もしかしたら以前の私の視野がとてつもなく狭かったのかもしれません。自分のものさしに当てはめて障害を持つ人をジャッジしていたかもしれません。ですがこういう風に考えられるようになって前よりも色んな人の考え方や個性を受け入れられるようにはなったのではないかと思っています。
日本の当たり前は30歳直前のちょっとはみ出し気味だった私にはしんどかったけど、今は自分を肯定しながら自分の人生を生きています。
『多様性を知り受け入れる。マジョリティでもマイノリティでもない自分の人生を。』
それが私がワーホリを通して得た一番の学びでした。